アラビアンナイトの世界へようこそ【イエメン共和国-Yemen】世界で最も入国困難な国のひとつ

私にとって初の中東訪問の地は「イエメン共和国」。

訪問当時は2009年。まだまだ治安は落ち着いていた時期だった。しかし2010年12月にチュニジアで起きたアラブの春以降、イエメンではメディアなどを通じ、周辺国の影響を受けたイスラム教の宗派が絡んだ対立が起き、治安は悪化。更に国の統制が効かないイエメンはテロリストの拠点となっている。「アラビア半島のアルカイダ」「IS」「イスラム教の宗派対立によるサウジアラビアとイランの代理戦争の舞台」などだ。詳しいことは中東ジャーナリストの方の記事を。

首都サナアでも度々爆破事件が起き、外国人は国外退避となっている今のイエメンはとても訪問できる状態ではない。しかし、実際のイエメンは非常に美しく興味深い国だ。その不思議な魅力が少しでも伝わればと思う。


イエメンのことを簡単に


イエメンの首都サナアにあるオールド・サナア地区(旧市街地)は文化遺産として世界遺産に登録されている。旧約聖書「ノアの箱舟」のノア息子セムが最初に住み着いたと言われでおり2500年以上も前から人々が住み、世界最古の街の一つ。

紀元前は「幸福のアラビア」といわれることもあったが、1839年に英国が南部アデンを占領、1918年に北部を制圧していたオスマン・トルコから「イエメン・アラブ共和国」として独立。反英運動が活発化した南部は、マルクス・レーニン主義を標榜し、1970年に社会主義政権国家として「イエメン民主人民共和国」が誕生。以降、南北間でたびたび衝突が起きたが、1990年5月22日に独立。

人口は約2,900万人。ほぼ100%がイスラム教。北部はシアー派のザイド派、南部はスンニ派のシャーフィーイ派に分けられる。首都はサナア。

 


アラビアンナイトの世界へ


世界遺産「オールドサナア」の入り口、イエメン門をくぐると、そこは別世界。

足元は石畳、建物は粘土を焼いて強固にした茶色いレンガで造り。その窓枠は石灰で白く塗られ、窓はステンドグラスがはめ囲まれている。夜はライトアップされ、一層幻想的なオレンジ色の世界になる。旧市街地に入り込むと、アラビアンナイトの中世の時代にタイムスリップしたようだ。そこにいる人々の彫りの深い端正な顔立ちが、ますますその情緒感を際立たせている。

 

遠くに山々が見えるが、首都サナアの近郊にはイエメンにはアラビア半島一高い山「ナビ・シュワイブ山(標高3,660M)」がそびえ立つ。また北部は山岳地帯で雨も多いことから緑豊かで、古くは「緑のアラビア」といわれていたとか。在イエメン日本国大使館「イエメンについて」参照。

南部のアデンやタイズ、西部のホデイダ、生物学者が深い関心を示す手つかずの島「ソトコラ島」など、見どころがたくさん。イエメンがまだまだ安全で観光客が渡航できていたころ、中東では史跡や自然を楽しめる場所として最も魅力的だった。とくにソトコラ島の珍しい樹木、赤い樹液が血液のようだといわれる「竜血樹」は見てみたい。おもしろいサイトをみつけたので、興味のある方はぜひ。

 

この国で面白かったのは、普段はシャイで穏やかなイエメン人が「カート」をやると人格が変わること。カートとは覚醒作用のある植物で、アフリカや他の中東諸国でも良く目にするのだが、その葉を噛み続けると気分がだんだん良くなって来るのだ。特にイエメン人は他の地域に比べて、やや覚醒し過ぎではないかと思った。

だいたいお昼休みなどに皆カートをやる。午前中の観光が終了し、昼食後に再びドライバー君と現地ガイド君が迎えに来ると、彼らの様子は明らかに違う。右の頬がリスみたいに膨らみ、クチャクチャ何かを噛んでいる。すぐに分かった。

 

「やっぱりカートをやったのか。仕事中とか関係ないんだな・・・」

 

不安になりながら車に乗り込んだが、案の定、運転はかなりスローペース。周りを走る車も止まりそうな速度であるため急ブレーキが増え、追突していないのにムチウチになりそうなほど、首がガックンガックンする。運転しながら窓越しにカートのやりとりをしている車もある。イエメン人男性は皆、昼食後は別の世界に行ってしまうようだ。

 

イエメン市内の雰囲気。道路は整備されているが、他の中東諸国と比べ華やかさはほとんどない。

 

 

スーパーのようす。ガイドが撮影OKと言ったのでカメラを取り出すと、すぐにセキュリティが駆け寄ってきた。そして「女性は絶対に撮るな」と。イスラム教の国はどこでも写真撮影は厳しいがイエメンは特に厳しいと感じた。

 

 

「エクスキューズミィ・・・」とガイドに声をかけると、「イエ~ス」と言って振り返った顔がひどい。目の焦点が合っていない。心配そうな私を見たガイド君は、彫りが深く整った自慢のイケメンを活かした笑みで「ノープロブレムだよ!イエメン男性は食事が終わったら午後からみんなカートやるんだ。だからモンダイナーイ」と超テンション高い。このガイド君、カートをやる前までは必要なこと以外はほとんど喋らず、何を考えているか分からなかった。しかしカートをやって明らかに別人化。

 

ドライバーもアラビア語が理解できない私にガンガン話しかけてくるので、それをガイド君が通訳するのだが、ろれつが回っておらず、言っていることがほとんど分からない。午後からの観光は言うまでもなく、グダグダだった。まあ、これもお国の文化。怒っても仕方ないし受け入れることにした。

 

そして世界的にも有名な美しい「プレジデント・モスク」でのこと。

入口には厳重警備の門があり、とても入れそうな雰囲気ではないが、カートでハイな彼らは強気。大声で何かを言いながら、強行突破したではないか。警備員が慌てて走って来た。私がパスポートを見せ、事情を説明して、ガイド君に通訳させるという、どちらがガイドか分からない事態に。写真撮影もOK。

 

たまたま警備員が物分りのいい人だったので許されたが、これが実は厳戒態勢中のことだったら拘束されていたかもしれない。後で考えると鳥肌が立った。カート後は終始、このような感じで珍国色強い珍道中で、かなり疲れた。次回はカートをやらないガイドを雇いたいと思ったが、無理であろう。確かにカートの覚醒作用はひどいものだが、娯楽の少ない彼らにとっては日々の楽しみなのかなと。

 

この旅で様々なイエメン人と触れ合ったが、男女問わず、皆本当に穏やかで優しい。滞在中はどれだけのイエメン人の笑顔に出会ったことか。アラビアンナイトの世界ででお土産ひとつ買うにしてもぼったくりもないし、安心して買い物が出来る。ガイド君があてにならないのでプレジデントモスクや、スーパーでの件もあるし、なんとなく写真撮影は遠慮した。

 

中東の中でも最貧国と言われているイエメンはオイルマネーの影響による超豪華な高層ビルが立ち並ぶ訳ではないが、中世的な建造物と自然と、美しい顔立ちをした人々とが見事に調和している。特に夜にライトアップされる旧市街地の様子は神秘的で格段に素晴らしい。

 


イエメンの問題を振り返る


2009年の訪問以降、再訪の機会を待っているが、現状は難しい。年月が過ぎゆくにつれ、どんどん厳しくなる。2015年は首都サナアのモスクでISによる自爆テロが相次いだ。訪れたあの美しいプレジデントモスクでも爆破事件が起きた。ここ4~5年は「世界最悪の人道危機」といわれるほど、状況は悪化。

児童婚の問題も闇が深い。イエメン女性は結婚最低年齢に関する法律がなく、10歳未満の女児との結婚が可能であり、問題視されている。未発達の体で結婚をすると命の危険が伴うため、最低結婚年齢を引き上げる法案が度々出されるが、保守派の強烈な反対に合い暗礁に乗り上げたまま。

 

メディアでは過激な部分が取り沙汰されることが多いが、彼らの願いはただ一つ「平和な世界」だ。中東で初めて訪問したイエメンには今でも特別な思いが込み上げる。

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