人種の壁を越えてラム酒を楽しむ【米領プエルト・リコーPuerto Rico】観光スポット紹介☆

 

「ぷえるとりこ」と聞いてどのようなイメージがあるだろうか?

ギャング?マフィア?麻薬? アメリカ映画やドラマでは悪役達の出身地が

「プエルトリコ」 というパターンが多く、どうしても暗黒的なイメージがある。

そんな危険な場所に訪問する日が来るとは、いくら珍国マニアでも予測はしていなかった。

危険な場所…ビビりのワタクシ、、、いつもより入念に下調べを行う。

その過程でプエルトリコという言葉に区切りがあることも知り、違和感を覚える。

日本人的感覚なのか、どうしても

プエル と トリコで「プエル・トリコ」

で区切られているような気がする。

しかし実際は

プエルト と リコ で「プエルト(豊かな)・リコ(港)」

「豊かな港」という名前を持つこの島に興味が湧いてきた。

百聞は一見にしかず、、、私にとってギャングの街だったはずが
「❤プエル虜❤」となるのであった。(ますます区切る場所が混乱する。)

アメリカのマイアミを経由してプエルト・リコへ入る。

またフロリダなどからクルーズ船も多く出ている。

プエルトリコを機内から空撮。


プエルトリコについて簡単に。


プエルトリコは人口約370万人。アメリカの「自治連邦区」。

簡単に言えばアメリカの州でない領土。
内部的な政治はプエルトリコの自治政府が行うが、国防も含め外交等はアメリカ主体。
アメリカの市民権があり、パスポートもアメリカのもの。

所得税納税義務はない。その代わり大統領選挙権もない。
独自の軍はなく、アメリカ軍が介入。米軍の中にも普通にプエルトリコ人がいる。
英語も通じるが、スペイン統治時代が長かったので国民の多くは「スペイン語」が日常言語。
国民に流れている血はラテン系と黒人系とヨーロッパ系。ノリは完全にラテン系!


中心都市サンファンのおすすめスポットへ


「カリブ海のハワイ」といわれるだけあって、街は高級リゾートホテルもたくさん。

レストランはカジュアルなとこでも、質が良い!
お店の店員さん達は明るくフレンドリー♪

世界遺産「サン・フェリペ・デル・モロ要塞(エル・モロ要塞)」

1539年~1783年、サンファンに入港する船の監視のために造られたのだが

完成までに何と244年もの月日を費やしたそう。

大西洋に面し、島の突端にあるこの要塞は高さ43mで城壁の厚さが6m。

当時400もの大砲が設置され、難攻不落の砦といわれていた。


最大の楽しみは「バカルディ・ラム工場」



トレンディドラマの走り「抱きしめたい」で浅野温子さんがいつもバーで

「ホットラム」をオーダーするシーンがカッコよく、中学生ながら憧れていた。
大人になったら~ラムを飲みたい~という夢を持って育ったといっても過言ではない。

ここでバカルディの歴史を少し。(ラムに興味がない方はスルーを)

 

バカルディ社の創業者はスペインのワイン商ドン・ファクンド・バカルディ。
1830年にスペインからキューバに渡った彼は、世界で初めて炭で不純物を取り除く

手法を考案。そして独自熟成方法とブレンドで極上のラム作りに成功。
トレード・マークのコウモリは創業者の妻の考案。
蒸留所の側の木にフルーツバット(コウモリ)がたくさんいたのを発見し、
トレードマークにするよう発案したそう。
キューバでは文字が読めなくても、みんなこのマークを見るだけで、
バカルディ社のポリシーと加えて「とても縁起が良いものだ!」と認識出来る。
というのも、当時キューバではコウモリは古くから健康、財産、一家団結という

言い伝えがあったから。

時を経て、アメリカに進出したいと考えていたバカルディ社は、
税金のかからないプエルトリコを生産工場として選んだ。

本社は英領バミューダ諸島。

 きっとコウモリのおかげで、バカルディ社は世界一のラム製造会社となったのであろう。

ちなみに、ラムはさとうきびが原料なので、高カロリー( ;∀;)

 

バカルディ工場内は見学が出来る。

ラムは熟成しないものはホワイト、短期間の熟成はゴールド、そして超熟成はブラックとある。

工場見学はバカルディ社の歴史が分かる映画上映や創業当時の工場の様子、

炭のろ過装置なども見ることが出来る。

レモン、リンゴ、マンゴーなどのフルーツ系もある。
 
そして見学の締めくくりは試飲!

入場券を購入した時に、一人2杯分の試飲券がもらえる!!!
ウキウキ★ワクワクで試飲カウンターに並んでいると、

工場見学で一緒だった年配の女性がこう言う。
 
「アタクシ、アルコールが飲めない体質なのです。

なのでマイチケットも是非お使い下さいな♪

遠慮しないで、ほら!主人のもありますよ!」
 
私は試飲カウンターでどれだけウキウキ★オーラを出していたのだろうか?
他にも並んでいる人はたくさんいたのに。
即答で
 
「いいんですかぁ!?グラシアス!グラシアス!!!」
 
と遠慮なく頂く。そして券を握り締めてカウンターへ。
注文はこれしかない!「ラム・コーク、ゴールドで★」

ラム・コークはキューバでは「クーバ・リブレ」と呼ばれている。

ラム・コークの誕生にはちょっとした秘話がある。

1898年、アメリカはキューバのスペインからの独立を手助け。
「クーバ・リブレ(キューバに自由を!)」を掲げて独立を勝ち取ったキューバ。
ちょうど独立戦争の頃、アメリカ兵と共にやって来たコカコーラと、
キューバの特産であったラムをミックスさせることを一人の将校が思い付く。
 アメリカ人将校がこのドリンクを掲げながら
 
「クーバ・リブレ!」
 
 と叫んだことからこのカクテルの呼び名になった。
このエピソードを聞いて、ますますラム・コークに愛着が湧く。
 
キューバ革命以降、50年以上もキューバとアメリカは国交を断絶していたが、
2014年の末にオバマ大統領がキューバと正常化に向けた交渉を始めると発表。

2015年に国交正常化されたが、2017年からまた関係が悪化。

両国がまた「クーバ・リブレ!」と杯を交わす日が来るのはいつの日か、、、。

 

 

さてさて、話をプエルトリコに戻して、、、

バカルディでバカのように試飲をし過ぎたワタクシ。
6枚のチケット全てを使い果たすと、さすがに酔わない訳がない。
次の予定は世界遺産に登録されている旧市街地で歩かないといけないのに

そんなことはすっかり忘れていた。


「世界遺産 オールド・サンファン~旧市街地、歴史地区~」 へ潜入。

真っ赤な顔して、千鳥足で、歴史ある街を徘徊して回る。
しかし、これが大変だった・・・。
酔っ払っている上に、全国方向音痴コンテストで第2位を獲ったことがあるということを

知らないタクシードライバーはワタシに、地図を指しながら、優しい口調でこう言う。

「ここから歴史地区なのだけど、道が狭いからこのデカイ車は通れない。
なので、この噴水のところで降りてもらって、あなたはココを下って
ボクはココで待っているから、散策終わったら、ココで待ち合わせしよう。
それで大丈夫かな?」

大丈夫な訳がない。ヤバイ…全く道順が頭に入らない。
ま、何とかなるさ!

「Si Si !!(スペイン語でYes)のぉぉぉーぷろぶれむっ♪」

この位置は首都サンファンの山手の方。下に向かって街が開けて行く感じ。

規律正しく敷き詰められた石畳はスペインの特徴らしい。

 

写りが悪いが、目をひいたのが木作りの可愛い看板。

とにかくここ旧市街地区はとても魅力的★
 
通りの両サイドにはレストランや気軽に入れるバーやパブ、土産物屋はもちろんのこと、

骨董品屋、洋服屋、商店などがひしめき合っている。
1軒1軒入って中をチェックして回りたい位、キュートなものでいっぱい。
気軽に買えるものもたくさんあり、安い!
1珍国1布というくらい、その土地の布やパレオが大好きなワタクシ。
ここでも水色の生地にピンクでハイビスカスがプリントしてあるものを購入。
普通は南国などに行くと、15ドル~20ドル位で結構高いのだが、

ここでは何と8ドル!!!

 

プエルトリコの一番の魅力❤ヒトガヤサシイ❤


珍国の師匠(世界中のありとあらゆる国と地域と島を制覇)から購入命令が出ていたものを、

血眼になって探していると、超グラマーなイカシタ店員のお姉さんが女王の必死な姿を見て、
同情したのかレジ先でちょっと手にした「プエルトリコの国旗」がモチーフになった

キュートなキーホルダーをおまけしてくれた☆
購入金額はたったの2ドルなのに。
 
とあるレストランでは、お冷が入った洒落たコカコーラのロゴ入りグラスを
「知人にお土産に買いたいんだけど、どこで売ってる?」と言うと、
店員である超イケメン兄ちゃんが「持っていきな!」とタダでくれる!!!
 
スーパーで探し物があると、店員さんも地元のお客さんも一緒になって探してくれる。
歴史的な旧市街地で、心と心が通うサービスに感動が押し寄せる。
 
こんなに気分良く散策が楽しめる場所もなかなかない。
 
散策後、地図を片手に10メートル毎に店に入り集合場所を聞く。
赤い顔した酔っ払いワタシを見ると、皆「どうしたの?」と聞いてくる。
「日焼けしたのさ」と言ってみると、「んな訳ねーだろ!飲んでるだろ!」

と爆笑しながら、っ込みをくれる。
 
旧市街地の皆様に助けられながら、何とか無事に待ち合わせ場所にも辿り着けた。
 
そして、夕食はドライバーに勧められた日本食レストランへ。
海外ではよくあることだが、表看板は大々的に
 
「ジャパニーズ レストラン」と共に「YAMATO」や「SAKURA」など
日本を象徴する名前の看板が掲げてある。でも中に入ると完璧に中国人のお店。
 ここプエルトリコにもそういうレストランがたくさん。
 
各国を旅していると世界は空前の日本食ブームを感じるのだが、
日本人が絶対にいないような国では、中国人が経営する日本食レストランが

欧米人を相手に大繁盛。予約をしないと座れない。
 
「このクオリティーでお金取るのか・・・」という感じだが、
珍国ではなぜか中国人が作る

卵がスクランブルエッグになった「親子丼」や
焦げまくって串から抜けない「焼き鳥」や
ソーメンのようい細い「丸天うどん」や
スープが何故か灰色の「きくらげ入りしゃぶしゃぶ」にホっとするのだ。
 
夕食後、プエルトリコ人の友人と会う約束。
 
彼は元々は日本在住で今はアメリカ暮らし。日本にいる時に良く飲みに行ったり、

観光に連れて行ったりしていた。
私がプエルトリコに行く2日前にちょうど良いタイミングで、彼の里帰りと重なり
 
「んじゃ、オレの故郷を案内するぜ!」
 
という話になったのだ。
 
彼の案内で今度は夜のオールド・サンファンへ潜入。
ここはプエルトリコの最高責任者である知事官邸。
建物が美しいと有名スポット。昼間は酔っぱらっていたし、気にも留めなかった場所。

街の中心にある要塞。昼間に行った旧市街地はこの内側に広がる。
旧市街地が攻撃されないように、要塞で囲んでいるのだそう。

連れて行ってもらった青空喫茶みたいな夜のバーでまたまた「ラム・コーク」を。
ピンボケだが、そのバーの前に港に寄港しているクルーズ船の夜景。

ラム・コークで気分を良くした私は、ムード溢れる場所で、ムードのない会話を続ける。
そして、バカルディのラム工場に行ったことのない彼に得意げに「工場見学自慢」を

してあげるのだった。
 
そんな私に彼は言う。 
 
「今日はまた一段と声がデカイね…」
 
「ほっといて!だって誰かと普通に気兼ねなくしゃべれるのは久々なんだから!」
 
ここまで来てムードのない会話を続けるのも何なので、真面目な話をしようと
プエルトリコ出身の彼に聞きたいことをぶつけてみる。
 (恋愛感情は笑っちゃうくらい皆無…。)

 


このQ&Aこそプエルトリコの魅力が詰まっている。


問い1:
「プエルトリコ人はアメリカから独立したいと思っていないのか?
選挙権も与えられていないし、いつまでもアメリカ自治区で良いのか?」
 
彼の答え:
「独立をしたがる政党はあるが、知事選では勝ったことがない。
アメリカから独立をすると、まず仕事がなくなる。
プエルトリコは主だった産業がないから、今となってはアメリカから離れてしまうと

治安も悪化するし、失業率が増えてしまう。自分もアメリカで仕事をしてるし、

ほとんどが独立反対派かな。」
 
 問い2:
「他のカリブ地域よりダントツ奴隷解放が早かったようだが、人種差別に対しての意識はどうか?
ここは特に他の地域と違って様々な人種が混在しているように見えるが…」
 
彼の答え:
「人種差別への意識はアメリカよりは遥かに進んでいると思う。
先祖代々遡ると訳が分からないくらい複雑だから。
自分の父はアメリカ人(白人)、母はスペイン系(褐色)。
おじいちゃんはスペイン系(褐色)でおばあちゃんはフランス系(白人)。
んで、ひいおじいちゃんは確かキューバ系黒人で、ひいおばあちゃんはスペイン系だったかな~。
 身内だけ見ても、みんな目の色も肌の色も髪の色も違うから、ここでは人種差別なんて言葉はない。」
 
 そんな彼の奥さまもフリピン系アメリカ人。
 
「人種の壁がないプエルト・リコ」
 
これは街を歩きまわっている時から感じていたこと。
彼の話を聞いて、何故この地ではそのように感じるられるか分かった。
 
日本を含め世界では未だ、この恥ずべき【人種】差別というのもが普通にあり、
黒人だから裁判では有罪率が高いとか、黒人だから地下鉄から降ろされるとか、
白人でないことが罪だか、キリスト教でないことが罪だとか、
アジア人がエレベーターや電車やバスに乗ると、白い目で見られたり、
白い目だけならいいが、「こんな人種と同じ空間は無理!」と暴言を吐かれ、
その場を立ち去る人もいる。
そういう事を見たり聞いたり、自分が経験したりすると、とても切なくなる。

 
彼が言うように
「 身内だけ見ても、みんな目の色も肌の色も髪の色も違うから、人種差別なんて言葉はない。」
 
こういう世の中が来る日はいつになるのだろうか?
 
そして、最後に質問が終わったあとに、彼がこう言う。
 
「プエルトリコに来てくれてありがとう。プエルトリコに興味を持って

色々質問してくれてありがとう。」
 
彼は日本にいた時から感謝の言葉や思いをいつでも口にしていた。 
「How are you?」
と聞くと、必ず
 
「Thank you for asking,Im fine.」
(聞いてくれてありがとう。元気だよ。)
 
食事や観光で、おかわりは? トイレは? 他に何かいる? おいしい? 
など質問する度に必ず笑顔で「Thank you for asking.」と言うのだ。
その言い方に惰性や習慣的なものは一切感じない。
この心地よい人間性はどこから来るのだろう?と思っていたが、ここに来て分かった。
 
「ありがとう=グラシアス」が溢れるプエルト・リコ。
人が行かないようなところに興味がある方はいつか必ず訪れて欲しいものだ。
行くだけで2日かかるし、遠いけど………\(-o-)/
 
ちなみに、「アーァチィーチィーアーチィッ♪郷ひろみ」ではなく
「アーップサイ、イーンサイッダァッ♪」でお馴染みのリッキーマーティンの出身地も

ここプエルトリコである。

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