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【南スーダン】で見つけた日本☆首都ジュバの見どころも紹介☆
2011年7月9日、アフリカで54番目の国南スーダン共和国として独立しました。それまではアラブ系の北部スーダンと統一国家でした。
私は独立直後の2011年11月から2012年にかけて3回訪問し、今回は7年ぶり4回目の訪問でした。
独立直後は『これが首都なの?』と思うほど穴だらけの道、赤茶けた未舗装道路、高層ビルは皆無で、
暗く混沌とした雰囲気。独立に浮かれる様子もなく、淡々とその日その日を何とか生きる無表情な人々〜という印象でした。
出会った若者たちの目からは、何もかもに飢えていて怒りと無気力の両極端さを感じました。
そのフラストレーションを直接ぶつけられたこともあります。
しかし、今回の訪問で同じ国とは思えないほど舗装道路も増え活気もあり、明るい表情の人も多く、
アフリカらしい音と喧騒に包まれ、これぞ、アフリカ!を感じることができました。
メディア等ではマイナスの部分しか取り上げられない南スーダンをプラス視線で紹介したいと思います。
この記事の内容は
目次
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①南スーダンについて
統一国家だった歴史的に北部はエジプトに、南部はイギリスに支配されていた経緯があります。ということは、もちろん南北で宗教も違う。北部はイスラム教、南部はキリスト教。
統一国家の時代も、独立してからも常に石油問題で北部と争い、内戦などで情勢が落ち着く時がありません。難民の数は増える一方。
石油は南から8割算出されますが、これまでは北部主導で利権を独占してきたため、
独立してからはもちろん南部も取り戻そうと主張します。ただ背景には今は南から北へパイプを通し紅海へ運んでいるけれど、
この先は中東危機に備え、南からインド洋へパイプを通し、石油を輸出したいアメリカの思惑もあるとか。
石油だけでなく、ダイヤモンド、鉱石類など南スーダンは資源も豊富です。
南スーダンは人口約1258万人。言語は英語、アラビア語、現地語が多数あります。
独立後から国内最大の民族であるディンカ人のキール大統領が国を収めていますが、
反対派のヌエル人のマーシャル副大統領と常に対立状態にあり、特に2013年以降から内戦が激化。
ブラックハットがトレードマークのキール大統領。
ちなみに国の英雄は、スーダン人民解放軍の最高指導者であり、統一スーダン時代には副大統領を務め、
22年間北部からの独立を求め前線に立ったディンカ人のジョン•ガラン氏。
お札のほか、ホテルや独立広場などでも彼の肖像画や銅像を目にします。
南スーダンでは、Dr.ジョンとして敬愛されアフリカの偉大な指導者として世界的にも知名度抜群でしたが、
2005年に不可解なヘリコプター事故で亡くなっています。
話を戻します。
キールとマーシャルの争いには国連の政府間組織機関や周辺諸国が入り、停戦合意や協定が結ばれますが、
何度も反故に。キール大統領自ら協定を破り、マーシャル側に戦争を仕掛けることもありました。
暴力と殺戮に支配された国家の犠牲になるのはいつも国民たち。特に女性にとってはかなり困難な状況で、
難民も激増しています。国連施設のすぐ近辺でもレイプが繰り返され、国際社会からはPKOの在り方も問われました。
2015年7月の大規模な首都での銃撃戦の2カ月後に稲田元防衛相が南スーダンを訪問し
『状況は落ち着いている』と
語った時はすごく違和感を感じましたが、自衛隊が派遣されていたので、そう言うしかなかったのは容易に想像できます。
この辺りは無知な私が少し調べたくらいで語れるものではありませんが、自衛隊派遣に関する興味深い記事が様々あり、
読み漁っていたのですが、派遣される隊員の現実問題が重い。。。記事元は別として考えさせられること多かったです。
さて難しい話はこのくらいにして
②南スーダン入国・アライバルビザ取得トラブル
南スーダンの首都ジュバへは、エチオピア航空がでディスアベバ経由で行くことができます。
ビザ(査証)は「アライバルビザ」といって、現地で100ドル払って入国のためのビザを取得することができます。
独立直後はナイロビ@ケニアの南スーダン大使館で取得していましたが、2012年から空港で取得できるようになりました。
今まで空港で取得するのに
「ありえなほどの大混雑で奪い合いの受付名簿は手書き、順番などなく、
人混みをかき分け係官に強烈にアピールした者から手続きが優先される」
ということ以外は特に問題はなかったのですが、7年ぶりに訪れると、空港もきれいに生まれ変わったかと思えば、
係官も生まれ変わったようで「賄賂要求」するではありませんか。
まあアフリカでは入出国時に賄賂要求はよくあることなので、驚きもしませんが。
国によっては、Invitation Letterなど現地旅行社や取引先企業などに招待状やビザ取得申請用紙のような控えが必要な場合もあります。
しかし南スーダンはビザ取得ルールとして、それは必要なし、大使館等のページにも明記されていません。
それをどんなに説明しても、受け入れられるわけもなく、、、
手下の係官がボスの係官に目配せをして、別室行き。この時点で明確です。
「ああ~100ドル以上にお金払わないと入国できないな」
1時間半待たされた挙句、「招待状がないからもう100ドル払え。じゃないと、入国させない」の一点ばり。
粘るとおまけしてくれることもあれば、拉致されそうになったこともあるので、これまでの経験により、
余り粘るのをやめて、泣く泣く合計200ドルを払いましたよ。13年もアフリカに通い詰めていると、
払うべきか否か?の判断は付くようになりました。命が大切、危険回避~!
誰にでも聞こえるような大きな声で「超過分の100ドルのレシートを出せ!」と言ってもくれなかったし
(賄賂なのであるわけない)でも頭に来ていたので、嫌味の一言は忘れません。
「Enjoy your time with my great 100$!!!」
係官は私を見て、ニヤリとするだけでしたけどね。次回からは必ず招待状を持参します。
③空港からホテルへ。宿泊したホテルは?
迎えに来てくれたガイドはウガンダ人。
元々はスーダンとして1956年の統一国家独立の時にイギリスは南スーダンをウガンダに帰属させたかったこともあり、
その頃からウガンダとはよい友好関係を築いていたようです。
彼の話によると、ウガンダやケニアからたくさん南スーダンに出稼ぎに来ている人も多いとのこと。
『南スーダンとウガンダはとっても仲が良いよ〜』といっていました。
南スーダンは東アフリカ共同体6カ国に入っています。(ケニア、タンザニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、そして南スーダン)
まずはホテルにチェックイン。驚いた!7年前はまともなホテルは一つもなく、簡易宿泊所みたいな感じで、
平屋建て、灰色の汚れたシーツ、黄色い水、壊れた椅子、割れた洗面台に便座がないトイレ、
点いているかどうか分からない電気、、、極め付けはホテル入り口に掲揚されたボロボロに擦り切れた国旗。。。
なんだか悲しいばかりでした。写真は7年前に泊まっていたホテル。
しかし今回は素晴らしく“普通”のホテルに泊まることができました。
本当は南スーダンで一番のホテルに泊まる予定でしたが、周辺諸国の副大統領会議とやらで急遽予約がキャンセルされ、
こちらのホテルに変更になったのです。でも全く問題ない!!!
嬉しくてこんな動画作ってますWW
毎食種類が違うビュッフェスタイルで、味も文句なしに美味しい!
嬉しくて、動画を作りました。
次こそはこちらに泊まりたい。ピラミッド•コンチネンタル•ホテル。ガイドに連れられ、
内部だけ見学に行きましたが、支配人から「宿泊できなかったお詫びとして夕食に招待します」というオファーもありましたが、
時間の都合上断念。すっごく感じがよいホテルです
。南スーダンの副大統領と隣国首脳陣が集まっていたので、軍が護衛するなど厳戒態勢で物々しい雰囲気でした、
もちろん写真撮影はNG。次は必ずや!Piramid Continental Hotel
④日本を感じる首都ジュバの見どころ
南スーダンの観光では、とにかく“日本”を感じます。JICA事務所、日本大使館、病院の壁にも日本国旗が描かれていました。
ジュバ大学には日本が寄贈したパソコンの設置の最中で、『ありがとう』と言われましたが、
私がしたことではないので、とても恐縮してしまいます。
ただ、こうやって日本が支援してくれているおかげで、現地での滞在がとても穏やかで心地よく、
どこに行っても歓迎されています。日本の支援のおかげで安全に旅ができていることを、本当にありがたく感じます。
こちらは日本が作った白ナイルに架かる橋。ウガンダに続く道なので、白ナイルに橋が架かったことで、物資運搬が可能になったとか。
橋柵で分かりにくいですが、白ナイルから水を汲み取る様子。豊富な白ナイルの水を使う南スーダンですが、水道パイプがないため、ナイルから汲み取った水を浄水し、供給車に積み込んで運んでいます。
そのシステムを整えたのも日本だそうです。シャワーを浴びるのも感謝しながら水を使わせてもらいました。※後日分かったのですが、このシステムの設計、、、友人が手掛けていました!驚き!!!
橋を渡った動画です。(※橋の撮影はかなり注意が必要なので、ガイドの指示に従っています)
⑤その他のおすすめスポット
白ナイル沿いのカフェ&バーへ。
エチオピア人経営で、ユーモアがあって落ち着く場所。過去にはこういった外国人が集まる場所が狙われ
たこともありましたが、2018年の恒久的停戦合意と協定以降、今は落ち着いています。
白ナイルに架かる日本が造った橋が見えています。
ガイドが連れて行ってくれた市場で食べたジャックフルーツ。
食べる前
繊維のようなものの間に実があるので、ちぎって食べます。クリーミーで甘くてすごく美味しい。マンゴーとメロンの間のような感じ。これで80円くらい。赤ちゃん燕に餌を与えるように、ガイドがちぎって
食べさせてくれましたww
7年前にはなかったお土産物屋さんもあります。
南スーダン人にしては皆、商売や観光客慣れしていて、かなりフレンドリーだなって思ったら皆、ケニア人でした。南スーダンの国旗をかたどったキーホルダーやマグネット、天然石や木彫り、アクセサリーなどがあります。おそらく南スーダン産のものは少ないかと。。。
さっきの市場もウガンダ人が集まる物資の中継的な場所。南スーダンは農業が中心であるものの、自分たちで食べ物を供給できるほど色々なものが整っていないため、野菜、果物、肉、日用品までほとんどが
ウガンダから入ってくるそうです。
南スーダンのナイルがもたらす自然は世界一の生態系と言われ、本当は自国で賄えるはず。。。国民の8割以上がまともな仕事に就けず、まともに食べることができないのに、この国で商売をし稼いでいる人のほとんどがウガンダ人かケニア人。
南スーダン一の文化センターや人気のバーを見学しました。自慢の施設のようで管理人のおじちゃんが丁寧に案内してくれました!
しかし、施設を利用したり、ここでドンチャン騒ぐことができる人たちは、一部のお金持ちか外国人です。
⑥まとめと所感
読み漁っていた記事の中にこうありました。
軍隊としての自衛隊派遣でなく『日本は日本らしい形の支援のやり方があるのではないか?』
南スーダン滞在中はその言葉が頭をよぎり、今後、中村哲先生のような活動が世界を変えていくのかな、、、
と思ったりしていました。安易な考えかもしれませんが。
このまま国の情勢が落ち着いて、本当に南スーダンにとって良い形で政府内も安定すれば、
この国の発展は凄まじいものがあるのではないかと感じました。現に近隣東アフリカ諸国の発展はすごいですものね。
ただそうはさせない先進諸国の思惑が渦巻いていますが。
ガイドの話によると、今は郊外の村訪問や民族との文化交流体験もできるほど観光地化が進み、
やっと世界中から観光客が訪れるようになったとのこと。
メディアから入る情報とは違い、町を歩いていて怖いと感じることは全くありませんでした。
独立後は特にレイプ、殺戮、虐殺などのイメージしかなく、自分自身の経験から来る過去のトラウマもあり、
現地にいる全ての人が極悪人のような錯覚に陥いり、恐怖でした。
しかしその国で普通に暮らしている一般の人々は、心から平和を望んでいます。
私たちと同じように家族がいて、友達がいて、一生懸命生きているのです。軽犯罪はあるかもしれませんが、
一般人が残虐な行為を行うことはありません。
一部の政府軍やゲリラ、反政府軍などの兵士たちがそういう行為を行い、人々を犠牲にしているのです。
腐敗国家としても悪名高く、国民のほとんどが貧困で長引く紛争から難民も激増。まともな生活ができている人の方が少ない国です。
7年前より随分と外国人にも慣れてきている気がしました。ナイロビやラゴスあたりを歩くより
南スーダンの方がよっぽど安全だと感じました。いつの間にか後ろを付ける人もいないし、カバンとか髪とか引っ張られないし。
アジア人なので興味本位の目でジロジロと見られますが、人混みの中を歩いても、市場を歩いていても何も起きません。
ニーハオと100%言われますが🤣日本人と言うと、満面の笑みになります。
私の役目としては、実際に見て感じたことを伝えていくこと。
ただ、このブログを鵜呑みにせず、危機管理は自分たちで行うものと思っています。
ナイルの水を飲んだ者は、ナイルに帰る
という言葉の通り、またこの国に来る日を願って。
(直にではなく、供給車から運ばれた水で歯磨きしただけですが。。。体内に入れる水はミネラルウォーターでごめんなさい)
南スーダンに真の平和と発展が訪れることを心より願っています。
※最後に、、、南スーダンは写真撮影にはかなり厳しい国です。私は全て訪問先の許可とガイドの保護のもと、撮影しています。特に独立広場は国からの事前許可(有料)がないと撮影できませんし、軍が目を光らせているので安易に撮っていると大変な目にも遭います。細心の注意を払ってください。といっても、、、カフェでは軍のお偉いさんに「一緒に撮りたい!」と言われましたが(笑)