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優しさいっぱい♡【クルディスタン-Kurdistan@Iraq】観光スポット~エルビル編
- 2020/5/30
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「クルド人」と聞いて何を思い浮かべるだろうか?
ISと戦う部隊「ペシュメルガ」が思い浮かぶ人もいるかもしれない。
また2015年10月25日、東京のトルコ大使館でトルコ総選挙の在外投票が行われた際に起きた、クルド人とトルコ人の乱闘事件の方が印象強いかもしれない。
難民認定されず入国管理局に何年も収容され、どんなに体調不良を訴えてもまともな医療も受けられないとか、、、つい最近ではクルド人が警察から乱暴且つ威圧的に取り押さえらている動画が投稿され、問題になった。
日本で起きているクルド人問題は様々な経緯や背景もあり、、問題の中身も複雑であるため何とも言えない部分もあるが、現地に何度も足を運んでいる私としては、日本で「クルド人」がマイナス面でしか表に出てこないことが悲しい。こちらの記事では少しでもクルド人の印象が変わるよう、プラスの部分を書きたいと思う。
クルド人とは?
トルコ、シリア、イラク、イランなど複数の国家にまたがって住む民族。紀元前8世紀にイラン高原で興ったメディア王国のインド-ヨーロッパ語族のメディア人が祖先と伝えられている。メディア王国が滅びたあと、
・紀元前1800年ごろ・アッシリア帝国
・紀元前330年ごろ・マケドニアのアレクサンドロ大王
・340年ごろ・ペルシアのササーン王朝
・12~13世紀・クルド人初の王朝
・1258年・モンゴル帝国
・1535年ごろ・オスマントルコ帝国
おおまかに書いたが、様々な王朝に支配されてきた。クルド人は一定の自治も認められていたときもあった。12~13世紀にはクルド人初の王朝がエルビルに興ったが、モンゴル帝国に滅ぼされた。
1693年、オスマントルコとペルシアのサファヴィー王朝の和平協定でクルド人首長たちはどちらかの勢力に属することを求められ分断境界線が設定されたのだが、これが最初の分断といわれている。
1916年、オスマン帝国崩壊後、英・仏・露の分割秘密協定「サイクス・ピコ協定」により、トルコ、イラク、イラン、シリアに分割された。第一次世界大戦後のヨーロッパ列強による分割統治がクルド人問題の悪化の原因ともなった。
クルド人は中東では四番目に大きい規模の民族。4500万人以上の大規模な民族であっても独立した国を持てないという背景が、対トルコだけでなく中東諸国とクルド人との間に対立関係を作ってしまうのだ。クルド人は独自の言語を持つが、トルコでは話すことも禁止され、迫害を恐れ、クルド人と名乗らない人も多いとか。先祖代々「平和な暮らしを求めるだけ」という民族の気質が、これまで独立できなかった理由のひとつではないかという考えもある。
私は中東問題を専門とするジャーナリストや知識人ではないので、自分で調べた限りのことしか伝えられず、問題について論じることは出来ないが、様々な要素のせいでクルド人全体が勘違いされていることについては黙っておけない。クルド人だけでなく、イスラム教の国は私たち日本人から見れば遠い世界のような気がするが、心は日本人と似ているところがたくさんある。その心を少しでも伝えたいと常々思っている。
イラクのクルディスタン地域 首都エルビルへ
仕事柄、クルド人で成り立っているイラク北部の自治区クルディスタンへは縁があって、何度か訪問させてもらっている。中心地のエルビルには地域政府という形で大統領を立て、議会も存在する。エルビルはイラクの一部なのだが、同じ国とは思えないほどの平和さがある。
街は綺麗に整備され、
バグダッド↑の案内がある。エルビルからバグダッドまでは約2時間半。
近代的な大型ショッピングセンターもある。
市民の憩いの場である公園は庭園が施され、家族連れがピクニックを楽しんでいる。
テレビで見る首都バグダッドとはまるで違う世界だ。
街の中心部には世界遺産に登録されたエルビル城塞(砦)がある。いつ誰が建造したか不明だが、城塞の存在が最初に出てきたのは紀元前2300年ごろのシリアの古代国家エブラ王朝の刻版(古文書)とか。
様々な王朝や帝国に支配される中、時には砦、時には城塞都市としての居住区、時には避難場所など様々な使われ方をしてきた。世界遺産登録後は研究のため、住人1300人は退去させたれたが、現在は「世界で一番長く人が居住している場所」という名目を守るため1家族のみ住んでいるという。
城塞にはいくつかの建物があり、それぞれが博物館となっていて中を見学できる。
クルド人の伝統的な家。内部のようす。
エルビルで最初に建てられたというモスクは城塞に。
他では絶対に手に入らないクルド土産もたくさん!
一番興味深かったのは、クルド人のお祭り「ネウローズ」の写真。
340年頃のササーン王朝が国教を「ゾロアスター教」と定めた。ゾロアスター教は火の神であるため、クルド人はこれまで自分たちが迫害を受け厳しい冬を耐えてきた悲しみの根源を、毎年3月21日のネウローズ祭で喜びと幸せに変えるために火を焚く。今はほとんどがイスラム教だが、火を焚く伝統はクルド人の歴史の中で、自由と解放のシンボルだ。世界中に散らばっているクルド人たちも必ず3月21日にネウローズを行う。なぜこの日かというと、全ての生命の息吹が春に向けて膨らみ始める日だからとか。クルド人が多く居住する埼玉県蕨市でも必ず行われるので、一度は行ってみたいと思っているのだが。。。
城塞のからアルビルの街を見下ろすと、昔ながらの文化と現代文化が上手に溶け合った美しい風景が見える。他の国では味わえない独特の感覚に包まれる。写真の右側に見える建物はスーク(市場)
城塞の下のカフェでひとやすみ。
チャイ(激甘紅茶)1杯50円。安さに驚いたがここは高級店なので高いそう。
庶民価格は10円~20円だとか!
スークへ潜入。食料品、日用品、衣料品など何でも売っている。
見慣れないものも多い。これはハルヴァーという、砂糖を固めたお菓子のようなもの。
ピスタチオ味でサクサクとしていて、美味しいがとても甘い。スークでは食べたいものをじっと見ているだけで試食させてくれる。買って!とも言われない。むしろ、どんどん食べて!というサービス精神旺盛。人が本当に優しい。
驚いたのは山盛りザクロ。塩をかけて食べる。甘酸っぱくてちょっと歯ごたえがあるが、暑い夏にはピッタリ!ジュースは砂糖がたくさん入っているから、飲まない方がよいと。
エルビルでいちばん美しい建物「グランド・モスク」
装飾が本当に美しくて、うっとりする。ここはめったに入ることができないが、この時はラッキーにも入れた!もちろん許可はいる。
クルディスタンのグルメ
クルディスタンでいちばんメジャーな食べ物は「シシケバブ」屋台でもどこでも食べられる。
ラムのひき肉を付けて、焼く。大量のミンチの山がすごい。
エルビルで一番おいしく、大人気店のケバブレストラン。
車のカギを表のボードに掛けるシステムがおもしろい。もちろん警備の人がいる。
付け合わせが何種類も大量に出てくる。クルド料理はとにかく野菜をよく食べる。酢漬け(ピクルス)になっているものも多い。
クルド流ナンがとても美味しい。1枚がとても大きい。トレーからはみ出すくらいある。店員さんが腕にタオルを掛けるような感じで乗せて、テーブルに配ってくれる。おかわり自由。そしてこれがまた美味しいの♡付け合わせともよく合うので、挟んで食べたりしてメインが来る前にお腹がいっぱいになる。
中東はラム肉が安価でよく食べられる。特にクルドは臭みがなく、とても美味しい。
骨付きラムのグリル、美味しかった!
ガイドが食べていたラムの煮込み。シンプルだが臭みは一切なくすっごく美味しくて、思わず注文をお願いした。変な香辛料もなく、日本人も食べやすいと思う。
数年前にオープンした「abcレストラン」7大陸のお料理がビュッフェスタイルで食べられる。
中心部から離れているので、最終日の空港に向かう前のランチに立ち寄ることが多い。
パスタ、ステーキ、トルコ、中華、そしてお寿司もあります!デザートも豊富。
とにかく巨大体育館のように広いので時間がないと、もったいない!
美しい街に、美しい建物。魅力あふれる
そして、、、
何といってもこの地域の一番の美しさや魅力は人ではないだろうか。皆とてもフレンドリー。
街を歩けば「写真を撮らせて。一緒に写って」と声をかけられ、行列が出来るほど人気者に。
街のレストランに行った時にこんなことがあった。女性から「あなたは日本人でしょう?今日は娘たちが音楽コンクールで賞を獲った日なの。良き記念日に一緒に写真撮影して下さい」と言われOKすると、クラス全体で撮影会となってしまい、レストランが大変な騒ぎに。でも、誰にも咎められるわけでもなく、その様子を見守る従業員や周りの目はとても優しかった。
いつも現地でお世話になる二人。 本当に助けられている。そして安心して仕事を依頼できる。
日本人が大好きで、優しくて温厚で気が利いて、いつも依頼以上のおもてなしをしてくれる。
彼らに「どうしてクルド人は皆こんなに優しいのか?」と聞いてみた。答えはこうだ。
「クルド人は本当におもてなし好きで、ホスピタリティ溢れた民族。相手が喜ぶ顔を見ると、自分もこの上なく幸せな気分になる」
この心が正しく日本人に似ていると思った。
定宿の「Erbil Internarnational Hotel」宿泊の時はいつも日本国旗を掲げてくれている。
同時に、イスラム教の教えが深く根付いているとも感じた。イスラム教には「相手に優しくしないと幸せになれない」という教えがある。そう、本当にそうだ。これまでアフリカや中東など、様々なイスラム地域を訪問して来たが、危険な目や嫌な目に遭ったことは一度もない。もちろん細心の注意は払っているが。
しかし、最近の中東情勢などを考えると、ここアルビルもいつどうなるかは分からない。一時はISの台頭によりしばらくは渡航できなかった。北部には油田があるため、ISがアルビルから1時間ほどのクルド人自治区キルクークの一部を制圧、後にクルド人部隊が奪還という事態も起きている。
そして欧米諸国はクルド人の「独立悲願」の心に寄り添うように見せかけ、クルド人部隊ペシュメルガを利用している。更に北部の油田をコントロールしたいと考えてもいる。アルビルの中心地が栄えているのも欧米の資本が入っているからだ。
この章を読んで、私がかなりクルド人寄りの考えを持っていると感じた人も多いだろう。実際にそうかも
しれない。しかし、中東諸国を訪問してきて、ここクルディスタンが一番居心地が良いのだ。人々と接する度に穏やかな気分になり、心がとても癒される。それは間違いなく、この地に住むクルド人のおかげだ。
彼らは近年の問題のせいでクルド人が勘違いされていることがとても悲しいと思っている。ここで何の力もない私がこのようなことを発信したからと言って何かが変わる訳ではないが、いつも懸命におもてなしをしてくれる彼らの為に出来ることと言えば「クルド人のイメージを少しでも変えること」くらいだろう。少なくとも、私の周りはクルド人やイスラム教のことを理解してくれるようになった。
いつも書きながら迷いがある。上辺だけの知識しかない自分がこういった問題に触れて良いものかと・・・。しかし、その勇気をくれるのはいつもクルド人の友人だ。彼の何気ないメールに背中を押されるのだ。「やあ!元気?今度はいつ来るの?エルビルは今日も安全だよ!」
この文字を見る度に、私には今日も明日も人々に伝えないといけないことがあると思うのだ。
豪華なホテルもあるし、イスラム教国だけど、堂々とビールも飲めるしね!
☆クルディスタンの山岳地帯や2019年に初訪問した第二の都市「スレイマイヤ」も書く予定です。
お楽しみに☆